●モッズ・ファッション
モッズ系のファッションといえば、
・3つボタン・スーツ(モッズ・スーツ)
・ミリタリー・パーカー(モッズ・パーカー)
・デザート・ブーツ
あたりがパッと思い当たるけれど、
あくまで、それらはモッズ・ブームに便乗した若者の主流だったもの。
最新のセンスを求める本来のモッズが、
それらのパターン化されたファッションをしているハズがない。
特にフェイスと呼ばれるモッズのリーダー格のものは地域毎に存在し、
常にそのファッションをリードしていたのだ。
それにならうチケットと呼ばれるものたちが、
そのフェイスに憧れ、それらのアイテムを採り入れていったのである。
●モッズ・ファッションの流れ
50年代後半頃のモダニストと呼ばれていた頃は、
イタリアン・ルックが主流。
細身のサイド・ベンツ入りのジャケット、
ボタンダウン・シャツ、折り返しの無い細身のパンツ。
そして先のとがったウインクル・ピッカー・シューズ。
そのほとんどがオーダー・メイドである。
また現代でも定番のフレッド・ペリーのポロ・シャツも、
これらのジャケットに合わせられた。
黒のパンツに黒のタートルネックのセーターも
パリにかぶれる若者の間で流行ったらしい。
マンフレッド・マンのジャケットで見られるスタイルですね。
まぁこの頃はちょっと裕福な中産階級あたりの
お洒落な一部の若者のハナシ。
60年頃には、そんなファッションが、
流行に敏感なティーンエイジャーの間で広まりはじめる。
また、スクーターの登場に合わせて、
カーキ色の米軍流れのパーカー、いわゆるモッズ・コート(モッズ・パーカー)も登場。
バイクからモッズ・スーツを守るアイテムだったものが後に定番化する。
メディアにも採り上げられ、少しずつ一般化してきた62年頃は、
「ヒズ・クロウズ(HIS CLOTHES)」というカーナビー・ストリートにある
ジョン・スティーヴンのショップが中心となる。
この頃にはよりタイトでカラフルなアイテムが人気だったという。
50年代後半のカーナビー・ストリートは金物屋などが並ぶ通りだったらしいが、
スコットランド出身のジョン・スティーヴン(John Stephen)が、
ブティック「ヒズ・クロウズ」をオープンさせてから、
次第にモッズやゲイなどのお洒落な若者が集まる通りになっていった。
「ヒズ・クロウズ」は最初はカーナビーのはずれ
ピーク・ストリートにジョンが23歳の時にオープンしたが
火事によってカーナビー・ストリートに移ってきたらしい。
この「ヒズ・クロウズ」では、
シャツの襟の形が凝ったもの、男性用花柄やフリル・シャツなどが売り出され、
一般のモッズの他、当時の人気バンドやアーティスト達もここで服を調達。
一気にジョン・スティーヴンはストリート・ファッションのキングとなり、
カーナビー・ストリートに次々とブティックをオープンさせていった。
モッズがいよいよブームとして一般化してくることにより、
よりカジュアルなアイテムも採り入れられ、
ベン・シャーマンのチェック・シャツや
ロンズデールなどのスポーツ・ウェアも登場。
またポークパイ・ハットや、
リーバイスなどのジーンズも愛用された。
これらは、ズート・マネーやジョージィ・フェイムら
当時のモッズ・クラブで活躍していたアーティスト達が
ステージで着ていたアイテムなども参考にされたようだ。
一方アンゴラ羊の毛で織った、モヘア・スーツも定番。
ハッシュ・パピーやクラークスのデザート・ブーツも人気アイテム。
1966年にはサイケデリック化が起こり、スウィンギン・ロンドンもピーク。
カーナビー・ストリートは世界のストリート・ファッションの中心となる。
そして、ミリタリー・ルックも流行。
その中心はポートベロー・マーケットのジョン・ポールのショップ、Load Kitchener's。
後にカーナビー・ストリートに移店する。
スウィンギン・ロンドンの象徴であるユニオン・ジャックもこの店が発端だとか。
センス抜群の表紙の本「スウィンギン・シックスティーズ」。
内容は60年代スィンギン・ロンドンのファッション史で、読み応えあります。
ちなみに洋書っぽいですが、日本語の本。
当時の写真や広告、雑誌の表紙なども載っていて、
ページをめくっているだけでも楽しい。
⇒ Amazonの詳細